刺子袢纏

 

 

 

– 刺子袢纏 –

その源は、幕末に町人の間で流行した刺青文化だと言われています。

当時の世相では刺青は決して陰湿なものではなく、むしろ明るく開放的で自己アピール的なもの、信仰心の表れ等々であり天保の改革への反骨、反社会的な意味もあったそうです。そして、歌川国芳の描く「水滸伝」の流行がさらに拍車をかけたと言われています。これらの刺青を特に好んだのは江戸町火消したちでした。町火消しとは鳶職を中心とした男気のある鯔背(いなせ)な連中です。

火事と喧嘩は江戸の華というほどに当時の江戸は火事が多く、度重なる大火の際見知らぬ人のために命を投げ打って火に立ち向かうその姿は何よりも勇しく、誇り高いものでした。そして現実的には、火事場で殉職した時、顔が分からなくなっていても彫り物で、どこどこの誰だと分かるようにという事もあったそうです。その彼らが火に立ち向かう際に着ていた刺子袢纏の裏側全面に自分の刺青と同様、自分の男気や信仰心、縁起をかついでの水に関係のあるもの等を表したのが『刺子袢纏』なのです。

※現実は所説ありまして、高額なもののため、火消しに憧れた大店の旦那さんが、金に糸目をつけずに作ったというものも、少なからず在ったのではないかとの事。

 

 

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